大阪生まれ福岡在住の筆者が、自由にボートゲームのあれやこれやを書き連ねるブログです。
ボドゲが活発な福岡から楽しいことも難しいことも発信します。

【閑話休題】長考は良いこと?悪いこと?【それはさておき‥‥】

どもども、ユーヤです。

閑話休題シリーズもはや数回目、さすがにそろそろ触れていく感じでもいいだろうということで、今回のテーマは『プレイ時の長考問題』です!

■長考とは?
一人のプレイヤーが何分・何十分も自分のアクション検討に時間を要する事象の事。
ボードゲーム、特にプレイ時間が長く設定されていて、システムが複雑になるもの程、自分の番にできる事・考えないといけない事・見ないといけない場所が多くなる傾向があり、そんなゲームほど、この現象が起きやすい。

■長考は何が問題?
「よく考えてアクションを決めているだけ」と見れば何も問題なさそうだが、ボードゲームは性質上「自分の手番中は相手が待つ」時間になる。何もせずに待つ時間が長いのは楽しいことではなく、「楽しむためのコンテンツ」としての魅力が損なわれてしまう原因にもなる。

また、毎手番長考が積み重なれば、例えば公証(製作側が想定して記載しているゲームのプレイ時間)60分のゲームが90分にも120分にもなり、その日の予定や、ひどいときはゲームを遊びきることそのものにも影響が出てきてしまうだろう。

■長考は悪い?良い?
この場はあくまで筆者の意見といて記載するが、【良い:悪い=3:7】といった塩梅というのが正直なところだ。基本的に良い印象は持たないが、悪いと言い切れないだけの理由もそれなりにある。ここからはそれに少し触れていこう。

●悪い面としての長考
とにもかくにも「相手を待たせる行為」になってしまう。待ち合わせに遅れる事がよしとされないように、過度に、それも何度も相手を待たせる状態になるのは、待たされている側からしたら決して良い思いはしないだろう。

また、集まりによっては「〇〇時に解散・帰宅する」といったシーンも考えられ、長考によってそれらの予定や時間・計画がご破算になるのは、関心いただけない。実際、「公証2時間=実プレイ3時間」なんて言われることもあるが、予定時間の1.5倍もかかれば、その後の予定にも支障が出てくるだろう。

あと、「いろんなゲームを遊ぶ機会」「同じゲームを何度も倒しむ機会」が結果的に減ってしまうのも惜しい。仮にオープン会で6時間遊んだとして、2時間級のゲームに3時間かかると、計算上3回目のプレイは出来ない事になる。

●良い面、悪くない面としての長考
まず真っ先に挙げられるのが、ボードゲームそのものに慣れていない」ケース。言わずもがなプレイに時間がかかることが予想されるが、これは誰しも、もとい多くの人が通る道。そこも含めて楽しんでほしいと思うことはあれど、憎まれるものではないはずだ。

次に「詰めの計算」。それまでは適度な間隔でプレイできていたものの、ゲームの終わりやターニングポイントが見えてきて、残り1,2プレイしかできない…となったら、それまでよりも時間がかかるのも納得できる。ボードゲームに関わらず、「事の締め」はそういうものだろう。

「とんでもなくゲーム自体が複雑」というのもあるかもしれない。今まで数多のゲームを遊んできたような人たちでも、理解と戦略に苦しむようなゲームなら、考えをまとめるのに時間がかかるのもうなづけるというものだ。

また、「よく考える=真剣にゲームしてる」という見方もできる。真面目に楽しもうとしていろんな可能性を考えながらコンテンツに没頭できるというのは、一種の才能だと思うし、純粋にボードゲームが好きな一個人として素晴らしいなぁと思える。

■筆者にとっての長考問題
ひとまずここまでで、一般的に言えるような良い面・悪い面を色々上げてみた。実際のところこれよりもさらに多くケースは上がるんだろうが、切りがないのでひとまずはここまで。
で、筆者の持論になるわけだが、個人的に思うところが何個かあったりする。

①「相手の時間を食う」という意識
大多数のボードゲームは相手がいて成り立つコンテンツで、大小差はあれど「自分の番=相手の時間をもらうタイミング」になる。それ故に「過剰に時間を奪われる」というのを、もし自分が受けたらどうだろうか…という意識はまず持っていてもいいものと思っている。

②考えてばっかりって飽きない?
個人的にはボードゲームの楽しさ=コマ動かしたり、カード出したり、さいころ振ったりしながら、考えた結果をコンテンツに反映させて、勝ったり負けたりするところ」、つまりは動きがある事が前提だと考えている。
その前提があって「結果を出すために考えるのが楽しい」ので、何もしない時間が長いと根本的に面白さが半減してしまう。というか筆者はコンテンツへの飽きが先に来てしまう。(実際、議論系・会話系のボドゲが筆者にあまり刺さらないのは、「コンポーネントを使う時間が短い」)という要素もあるのだろう)

③「ベストな1手」ではなく「ベターな数手」の考え方
「勝つために考えて行動する」のは、ボードゲームでは比較的自然な事だろう。「勝つために考え抜いた最善の1手」を打ちたいのはおかしいことではない。時間をかけたくなるのも分かる。まさに「持ち時間1時間」とかの、将棋や囲碁のような感覚だ。
ただ、ボードゲームはそれをするコンテンツではない。少なくとも各ボドゲに記載されている「公証プレイ時間」はそうは言っていない。もしボードゲームがそういうコンテンツなら、中~重量級のゲームは、そのほとんどが公証プレイ時間「50分/人数」みたいになっているはずだ。
筆者自身は、この公証プレイ時間の感覚から、ボードゲームは適度に頭を使って、中の中~上の下ぐらいのアクションを選び続ける」ものだと考えている。実際、長い検討時間の末「会心の一手」を打ったプレイヤーよりも、ほどほどに考えて「ベターな数手」を打ったプレイヤーの方が結果がいい様子を何度も見ている。勝敗的にも密にゲームを楽しむ意味でも「ほどほどの思考時間でベターな回答をし続けるのが強いコンテンツ」というのが、筆者から見るボードゲームの位置付けだ。

■まとめ~他人に寛容たれ、自身に厳格たれ~
大体のボードゲームに考える時間の制限は明示化されていない。(=ルールが存在しない)しかし、そこには間違いなく「時間は有限」であるという事実、「長考問題」という界隈独特の問題、それに対する賛否がある状態だ。

そんなふわっとした事実やあ問題意識やらがあるだけ故に、個人でやれることはそんなに多くなく、「自他のプレイ時間を意識して、自身のプレイ時間と相手への感情をコントロールする」ぐらいなものだろう。自分がプレイするタイミングでは、ほどほどの時間で検討を終えられるぐらいのレベルにして、過度に時間を取らないような動きを心がける。相手のプレイ時間中は、相手が何を思って時間を使っているか想像・共感しながらしっかり待つ。結局のところ、みんなに等しくできる事はこのような意識改善のレベルに収まる。

「自分の時間を自分の好きなように使う」事は全く持って悪いことではない、が、ボードゲームは「他人がいて初めて成り立つコンテンツ」だ。相手の事を意識して動くことはこのコンテンツを享受するための前提部分なので、長考するにしろしないにしろ、相手の存在を軽視することなく、このコンテンツと付き合っていきたい次第である。

■終わりに…
たびたび話題に上がる内容を、このブログでも扱ってみました!まぁ議論したとて解決するものではないですが、お気持ち表明だけでもしておこうかなと思った次第です。

筆者の考え的には「短思考時間でも十分勝ちは目指せるので、あとはテンポよく楽しみたい」が強いです。そう、テンポが大事なのです。音楽も会話もスポーツもお笑いもテンポが大事、ボードゲームもテンポが良ければ圧勝・辛勝・惜敗・惨敗問わず一定水準以上で楽しめるのです!

皆さんも、「やだ…手番に時間かけすぎ…?」と思ったり思われたりした際は、一度この問題について自分なりに考えてみてもいいのではないでしょうか。

それでは今回はこの辺で…

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